天才人文主義者の理想型としてのレオナルド・ダ・ビンチは特にその絵画で有名である。技術者、哲学者、詩人であると同時に、彼はまたおびただしい数の文書を後世に残しましたが、それらはエクリチュールとの特殊で魅力的な関係を示しています。
西洋の知性、技術、芸術の歴史において変わり目の時代であるルネッサンスは、古代ギリシャ・ローマの芸術、文学を模範とし、思想と人生の新しいモデルをそこに求めました。人文主義的思潮は教育と教養を強く推奨し、人間を批判的精神を備えた自由な存在にしようとしました。この時代はまた西洋における印刷術の発明の時代でもあり、これによって知識へのより一層大きな接近が可能となります。
エクリチュールに関しては、この時代は人文主義的スタイルの時代です。ルネッサンス期の学者たちは中世末期のゴシック体エクリチュールを《粗野なもの》として嫌っていました。古代ギリシャ・ローマ文化の《純粋な》形に戻る試みにおいて、彼らは古代文書の写しを土台として新しいエクリチュールのモデルを造りました。簡素で読みやすいその形は、人文主義者によって求められていた規範と理想に合致していました。
レオナルド・ダ・ビンチは多数の手帳(約13000ページ)の中で、絵画に関する多種多様な観察、省察を記し、技術的発明をデッサンし、自然現象に関する科学的研究を書いています。
レオナルド・ダ・ビンチのエクリチュールは、走り書きのページではヒューマニスティック体小文字であり、従って素早い記載に適した斜めの文字です。しかしその文字には特に反転して書かれた特色、つまり鏡に写っているように、右から左に書かれたという特色があります。その異様な事実を説明するために仮説が二つ出されています。その一つは、自身の文書を解読困難にするためのレオナルド・ダ・ビンチの戦略という仮説。この仮説は専門家には満足なものではないと見なされています。二番目の仮説は、もっと実際的なものです。レオナルド・ダ・ビンチは絶えず新しい解決を求めて束縛から脱しようとしていた、というものです。レオナルド・ダ・ビンチが左手で書いていたことは知られています。従って、鏡文字は単に実際的な選択であったかもしれません。文字方向の反転と右から左へ書くことよって、左手の努力が少なくてすみ、まだ湿っているインクに手首をこすらせることもありません。
レオナルド・ダ・ビンチの手帳は、その時代では麻またはリネンのボロから作られた紙で成っています。